My Life Story

- Tomoko Prezia -

 

ふと気付けば、私の口から出る言葉は、ネガティブな事ばかりになっていた。20代ももう残りわずかになった時、そのまま進んでいくレールの人生に、とてつもない不安を覚えた。このままじゃ嫌だ、人生を変えたい!そう気づいた時、私は決心した。自分の人生を変えるのに、結婚を逃げ道に使わない。誰かに変えてもらおうなんて他力本願にならない。自分の人生、自分で決めた事なら、自分で全て責任が取れるから。そう気づいた時から、全てが始まった。

 

それから私は、日記をつけ始めた。自分の気持ちや想いをきちんと理解して、迷いを断ち切りたかったから。そして30歳になった直後、一年後に退職したいと上司に伝えた。その時点で未来白紙。将来の事は全く未定なのに、なぜか不安な気持ちよりもワクワクする気持ちの方が強かった。ようやく自分の気持ちに正直になり、それを行動に移す事が出来たからだと思う。

 

不思議と大企業を去る不安はなかった。結婚も転職の予定もない私は当然引き止められたけど、私の意思は変わらなかった。何をしよう、そう漠然と考えていたある日、流れが変わった。たまたま友達のカメラで見た一枚の写真。それは、国際カップルの結婚式の写真だった。話を聞くと、二人は新婦さんがワーホリ中に出会ったとの事。ワーホリって何?その時の私は、ワーホリという言葉すら知らなかった。

 

その時、友達に言われた。「申請するなら、今しかないよ。年齢制限あるから。」それから私はひたすら調べた。そして決めた。これだ!ずっと英語が好きで、大学の時交換留学までした私。英語からはずっと遠ざかっていたけれど、もう一度自分の好きな事をやってみよう。そう決めたら、むくむくとやる気が湧いてきた。

 

それからの私は、英語の勉強、貯金、運動に全てのエネルギーを費やした。今までストレスから散々した買い物にも、興味がなくなった。日々少しずつ少なくなる仕事量により増えた時間でヨガを始め、あっという間にハマった。自分の心と身体がエネルギーを取り戻していくのを感じた。

 

ワーホリの準備は全部自分でした。誰かに頼らず出来る所までやってみよう、そう思ったから。申請書の記入も必要書類を集めるのも、インターネットのお陰で自分でやれた。こうしてワーホリの許可通知を受け取った時は、涙が出る程嬉しかった。自分の夢を叶える喜びを思い出した瞬間でもあった。

 

退職が広まった時、冷たくなる人もいた。同じ会社で戦う同志がいなくなる寂しさだったのか、ただ単に人生から逃げていると思われていたのかは分からない。でも、私の事を大切に思ってくれてる人は、本当にみんな心から応援してくれた。それが何より嬉しかったし、力になった。「遂には海外で婚活か!」なんて言われもしたけど、笑って流せる程私は精神的にも強くなっていた。

 

そうしてカナダに飛んだ時には、私は31歳になっていた。正真正銘のギリホリ。選んだ場所はトロント。留学エージェントを通さず、語学学校も決めずに降り立った。しかも予約していた宿は、たったの一週間。今思えばかなり無謀なプランだったな。。現地に着いてから足を運び、自分の目で見て決めた学校はすごく良かった。住む部屋だけは見つけられず焦ったけど、日本の友達が紹介してくれた女の子と意気投合し、彼女が1ヶ月位なら住んでいいよ、と助けてくれた。つくづくラッキーだった私。

 

自分で納得して選んだ学校は勉強が大変だったけれど、久しぶりにひたすら勉強した。自分で学費を払う、これはとても意味があった。学生時代とは気合いの入り方が全然違う。必死に2ヶ月を駆け抜け、その後車のディーラーで1ヶ月インターンをした。今思えば落ちる事のない面接だったんだろうけど、ドキドキしたな。

 

その頃から私は、バンクーバーへの引っ越しを考え始めていた。私がワーホリ中にやりたかった一番の事、それはカナダでヨガの講師資格を取る事だった。大都市がいいと思いトロントを選んだけれど、色々調べていくうちに、バンクーバーに移ってみよう、そう思い始めていた。そうして私は、3ヶ月過ごしたトロントを後にし、バンクーバーへと飛んだ。幸いマイルが貯まっていて無料で行けた。

 

当然バンクーバーに知り合いなんて一人もいなかった。現地の様子も知りたいなと思っていたところ、トロントの学校でお世話になっていた日本人コーディネーターが急に代わり、なんと新しい人はバンクーバーに長年住んでいて、トロントに引っ越してきたばかりだった。その人に事情を話すと、バンクーバーの頼れるお兄さんを紹介してくれた。そして今度はその人の紹介で、バンクーバーでチューターをとる事にした。そして遂に念願のヨガ講師資格のコースにも申し込んだ。

 

さぁ、そろそろバイトでも探そうか、そんな風に考えていた時、突然チューターの先生からウェブ制作の学校に興味があるか聞かれた。3ヶ月のコースだし、日本でヨガをこじんまりと教えるにしても、ウェブサイトが作れた方がいいんじゃない?と言われ、それも一理あるな、とワーホリ中に思い切って新しい事にチャレンジしてみる事にした。この時程、頑張って日本で働いて貯金してきて良かったと思った事はなかったな。

 

こうして始まった私のバンクーバー生活。ここでもひたすら勉強。ウェブも全てが初めてだし、ネイティブに混じって受けるヨガのコースもかなりハードだった。どちらの課題も終わらせる為に、朝6時からヨガのクラスを受け、それから一日ウェブの勉強と格闘する。そんな2ヶ月は怒涛のように過ぎていった。何とかやりきった頃、生活に少し変化があった。

 

元々ウェブの学校はこじんまりとしてて、生徒と先生の距離がすごく近い学校だった。全校で月に一回飲みに行く、そんなカジュアルな環境の中、私ぱ気付けば一人の先生と仲良くなっていた。そう、それが今の主人。直接クラスを受け持ってもらった事はなかったけれど、飲み会の席で話すうちに親しくなった。校長先生にも許可を得て付き合い始めた頃、私は否が応でもワーホリビザの期限が迫ってきているのを意識せざるを得なかった。

 

私に残された選択肢。それは日本に帰るか、そのまま学校に残る為に学生ビザに切り替えるか。ここでも日本で貯金してきた事に感謝した。将来の事を考えるならば、ここでこの人と離れるべきじゃない。彼とも話し合い、私はカナダに残る事にした。両親に話した時、母親は正直寂しそうだった。でも、自分が幸せになる為に、結婚して人生の第2章に進む為に、そして何より、生まれた国も違うのに初めて結婚したいと思えた人を手放したくないと思った。

 

もともと7月終わりにワーホリビザが切れる為、日本に帰国する予定だった私は、帰国前に両親とカナダを旅する予定だった。予定通り両親はカナダに遊びに来てくれた。両親に会っておきたいと彼が言ってくれた傍ら、母は頑なに会いたくないと言っていた。そんは時珍しく父が言った。「ともこが初めて結婚したいと言っている人に、俺はカナダにいるうちに会っておきたい。」。その言葉がきっかけとなり、顔合わせする事になった。

 

彼は日本語が話せない為、通訳者は私。母は終始硬い表情だった上、かなり将来に対する厳しい質問が飛んだ。私はそれをドキドキしながら通訳したけれど、彼は真摯に答えてくれた。数日後、彼が自分の家に両親を招待してくれた。その時、母がぽつりと言った。「彼、ポッキーが好きって言ってたし、手土産に買って行こうか」。認めてくれたんだ!!私は涙が出る程嬉しかった。

 

そうして顔合わせも無事に済み、ワーホリから学生ビザに切り替えてウェブの勉強も終わりに近づいたある日。次の夏には結婚式と思っていた頃、なんと妊娠が発覚した。正直想定外だったけれど、こうなったら全てを早めるのみ。32歳での妊娠なら、正直高齢出産の一歩手前。そこからバタバタと準備を始め、日本で結婚式をして33歳の夏、私は無事に長女を出産した。31歳でギリホリし、実に2年後の事だった。

 

私の30代の幕開けは、まさに激動。初めての出産はカナダにて入院一日、里帰りなし。英語の壁、制度の壁、文化の壁、色々な壁を乗り越えて、さらに二人目も出産し30代は文字通り育児で駆け抜けた。親戚のような日本人友達、そしてカナダ人のママ共にも恵まれ、気がつけばカナダが自分のホームになっていた。

 

そうして迎えた40代。子育ても少し落ち着き、改めて将来やキャリアについて考え始めた際にふと思った。自分が昔ワーホリについて調べている時、カナダに永住出来る可能性ってあるのなと色々調べたけど、結局よく分からず諦めた事。カナダに残れたらいいのにな。。。そう言いながら泣く泣く帰っていく友達を大勢見てきた事。短期的な目で見たワーホリや留学じゃなくて、カナダでずっと暮らしたい人はどうしたらいいのか。それを真剣に学ぶ為、私は移民コンサルタントになる事を決意した。コースと資格試験は想像を超えるハードさだったけれど無事にパス。新しいことに挑戦するのに、遅すぎるなんて事はない。Age is just a number だから。

 

その少し後、また人生にサプライズが。なんと10年暮らしたバンクーバーを離れ、カルガリーに引越す事に!今はカルガリーに暮らしている。大掛かりな引越しだったけど、昔一人で日本を飛び出し海を渡った事を思えば、所詮同じカナダ。これからも人生のサプライズを楽しんでいける自分でありたいと思う。